6月5日 今日のドライブは厚沢部~上の国~江差 2
>開陽丸は江戸大老井伊直弼の意思を継いだ安藤信正(信睦)によってオランダより導入された江戸幕府の軍艦である。オランダで造艦され、1867年(慶応3年)3月25日に横浜へ帰港した。最新鋭の主力艦として外国勢力に対する抑止力となることが期待されたが[4]、徳川軍艦としてわずか1年数ヶ月、1868年(明治元年)11月15日、蝦夷・江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没した。
1975年(昭和50年)、江差町教育委員会によって世界初となる水中・産業考古学の対象として発掘・調査プロジェクトが発足した[5]。大砲やシャフト等の遺構から古文書など3万点以上の遺留品の引揚げが行われている。1990年(平成2年)4月、北海道檜山郡江差町に史料館として開陽丸が復元された。
>瓶子岩(へいしいわ)
今から500年もの昔、様々な予言をするひとりの姥がおりました。あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられ、姥は人々から折居様と呼ばれ神のようにうやまわれていました。毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」では、町内の若者たちによって全長30mにおよぶ〆縄がかけられます。